12種類のカラフルおやつ
金平糖
入江製菓株式会社/福岡県北九州市
2023年3月号掲載
地道な職人技が生む伝統の砂糖菓子
ポルトガルから伝わり、一説によるとポルトガル人宣教師ルイス・フロイスによって織田信長にも献上されたという金平糖。語源は砂糖菓子を意味するポルトガル語の「confeito」だ。
昭和初期に官営八幡製鉄所(現在の日本製鉄九州製鉄所八幡地区)の地元で創業した入江製菓。「1970年代にスーパーが普及し始め、当時の主力商品だった飴だけでは生き残れないと、金平糖製造に乗り出しました」と創業家の4代目で、会長を務める入江雅彦氏は振り返る。
カラフルで、角がある独特の形状をしている金平糖だが、原料は砂糖のみと極めてシンプル。しかし、その製造には熟練職人の技術が必要で、加えて「気温や湿度にできあがりが大きく左右される、たいへんデリケートなお菓子なので、神経を使います」と入江氏は言う。
約100℃に熱した大釜に砂糖を入れ、傾けながら回転させて砂糖の粒を転がす。タイミングを見ながら、溶かした砂糖(糖蜜)を釜の中の砂糖に噴霧すると、糖蜜で塗れた砂糖が焼けた釜の中を転がるうちに糖蜜が固まっていく。これが角になるのだ。この作業を毎日8時間、1日も休まずに14日間続け、最後に果汁粉末などでカラーリングをしたら完成だ。
金平糖の市場が徐々に縮小するなか、入江製菓は2012年に新ブランド「いろは屋」を旗揚げした。抹茶やココア、ブルーベリー、いちご、ゆずなど計12種類。通常の金平糖よりひと回り小さいミニサイズで、本物の果物や抹茶・ココアパウダーなどで味付けした本格派商品。土産やギフトとしても人気を集めている。
昭和初期に官営八幡製鉄所(現在の日本製鉄九州製鉄所八幡地区)の地元で創業した入江製菓。「1970年代にスーパーが普及し始め、当時の主力商品だった飴だけでは生き残れないと、金平糖製造に乗り出しました」と創業家の4代目で、会長を務める入江雅彦氏は振り返る。
カラフルで、角がある独特の形状をしている金平糖だが、原料は砂糖のみと極めてシンプル。しかし、その製造には熟練職人の技術が必要で、加えて「気温や湿度にできあがりが大きく左右される、たいへんデリケートなお菓子なので、神経を使います」と入江氏は言う。
約100℃に熱した大釜に砂糖を入れ、傾けながら回転させて砂糖の粒を転がす。タイミングを見ながら、溶かした砂糖(糖蜜)を釜の中の砂糖に噴霧すると、糖蜜で塗れた砂糖が焼けた釜の中を転がるうちに糖蜜が固まっていく。これが角になるのだ。この作業を毎日8時間、1日も休まずに14日間続け、最後に果汁粉末などでカラーリングをしたら完成だ。
金平糖の市場が徐々に縮小するなか、入江製菓は2012年に新ブランド「いろは屋」を旗揚げした。抹茶やココア、ブルーベリー、いちご、ゆずなど計12種類。通常の金平糖よりひと回り小さいミニサイズで、本物の果物や抹茶・ココアパウダーなどで味付けした本格派商品。土産やギフトとしても人気を集めている。
Profile:入江製菓株式会社
現在の会長である入江雅彦氏の祖父が京都の和菓子店で修業を積んだ後の1934(昭和9)年に創業。官営八幡製鐵所の地元で、労働者やその家族向けに和菓子を販売してきた。飴を主力にしていたが、スーパーの台頭により、商品の幅を広げる必要に迫られ、1970年代に金平糖の製造を開始。2012年、従来の金平糖よりひと回り小さく、果物や抹茶パウダーなどで味付けした新ブランド「いろは屋」を立ち上げた。